ITSのある生活(No.7)
マーケティング / ユーザーはどう考えるか / インターネットのない時代(アメリカ)からiモ−ド時代(日本)へ


○赤羽委員長
 では次の話題を提供しましょう。通信が交通と代替関係にあるという議論が大昔にありました。しかし今では、両者は補完関係にあり、むしろ通信がとんでもないところに存在する人と人とか物と物とかの情報を交換させた結果として、とんでもないところに行きたいと思っている人がたくさん出てきているということです。これからもその傾向はどんどん増幅されて行くのでしょうか。

○三浦
 でも、ほかにお金を使うところがないと思いますよ。(笑)残念ながら、ナショナルのテレビを買うことに10万円、20万円払うよりは、旅行をしたり温泉に入ったり散歩したりという方向にどんどん流れていくと思うんですよ。

○吉開
 やっぱりちょっと言っていいですか。(笑)
 ずっと黙っていたんですが、それだけはやっぱり言わないといけないと思って。
 先生がおっしゃったように、以前は代替案という話が確かにあったんだけれども、それについて私はずっと前から気になっていて、そう、アメリカの歴史で1900年から1980年までの、まだインターネットがない時代に、電話と車がちょうど同じぐらいの時代に普及し始めたんですが、そのときの発展及びどういうふうに活用されたかという歴史を調べてみたんですね。
 そうしたらおもしろいことがわかってきたんだけど、完全に両方とも同じペースで伸びていっているんですよ。片や1850年にベルの発明ですよね。車はヨーロッパだったけれども、T型フォードがアメリカで出てバッと売り出されて、ほぼ同じ時期なんですね。それで、大恐慌のときに実は両方とも落ちるんだけれども、また同じように上がるんですね。
 それで、じゃ、そこでだれが使っていたかという話になるんだけれども、最初は農村なんですね。車は当然わかるでしょう。電話もそうなんですよ。何かというと、ラジオがなかった。それで、今の有線放送みたいな感じでみんなで電話で連絡し合って「あした農作業をしようね」って言って、あるいは天気予報とか、そういうののやりとりに使っていた。

○赤羽委員長
 ああ、ミーティングをやっていたのですね。

○吉開
 そう。その次はマーケティングの失敗の話です。
 車は実はおもちゃとして使われたし、メーカーもそう考えていた。電話はというとビジネスユースに使われる。大都会でのサラリーマンが使うと思っていたんだけれども、実は農村で使われていた。当時は、まだ電報の方が記録性があったからよっぽど便利だったんですね。
 何を言いたいかというと、やっぱりユーザーがどう考えるかというので実は商品って決まるのであって、それがやっぱりポイントだと思うんですよね。
 失礼ながら、ここの会議でこういう使い方があるとか何とか言っても、多分正解は僕らはわからない。それが1つ目のポイント。
 アメリカの話に戻りますが、その後どういうユーザーが出てきたかというと、中間層のご婦人たちなんですよ。電話でお互いに連絡をとり合って、「きょうはどこどこさんのうちでお茶会しよう」とか「パーティーしよう」とか、それでスケジューリングを決めておいて、それでその場に行く。そこに車を使う。完全に補完関係が成り立っているんですね。
 要するに地域社会の活性化と、それからスケジューリングの柔軟性、この2つが両方成り立っていることが2つ目のポイント。実はこのポイントは今でもそのまま成り立つと思うんですよ、多分ずっと。
 さっきおっしゃったように、iモードで――iモードじゃないかもしれないけれど、携帯で連絡をとり合って、それでどこかで会いましょう。そこにモビリティーが発生しますよね。だから、サイバー空間と実際のモビリティーは、僕は絶対に同じペースで相互関係が成り立って発展していくのが今後の社会でも成り立つんじゃないかなと思っていますよ。

○赤羽委員長
 そういうものか、インフォーマルな通信をきっかけとした人の行き来というのは、三浦さんの本の中にあった郊外における主婦症候群とはどういう関係になるのでしょう。それを超える動きになるのでしょうか。

○三浦
 今、ご質問の趣旨がよくわからなかった。

○赤羽委員長
 要するに、何となく郊外で、自宅も電化製品も揃えて一見幸せそうなんだけど、何となく満たされない気持ちがある。それを超えられるような動きになりつつあるのでしょうか。それは例えば電話だけではなく、インターネットでも自分がやろうと思えば、いろんな人たちに対して情報を発信することができますね。そういうことで、社会とのかかわりを求めていくとかということもあるのだろうと思うのですが。

○三浦
 そうですね。

○長谷川
 インターネットの出会いすらね――出会い系サイトはちょっと別としても、オフ会というのを彼らはやるじゃないですか。私は行ったこともないし、そういうのをやったこともないけれども、オフ会をやって、秋葉原のアキバマップなんていうのを出していますけれども、あれを見ると「オフ会にはいい場所だ」とか、何かいろいろ書いてあるんですよね。結局彼らは、あんなにインターネットでいつもやりとりしているのに、情報のやりとりだけじゃ絶対に物足りなくて、フェイス・トゥ・フェイスでやる必要がある。
 私、さっき言っていないような気がするんだけれども、人、物、情報の移動って人間の本質だから、だからどれかでどれかを代替するようなものじゃない。移動って、人間が本来持っている権利でもあるし、本来持っている本質のような気がしますよね。だからどれかでどれかを代替できるようなものではないのだなという気がしてならないですよね。

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