感覚と理性から考えると価値あるコンテンツは異なる??

by Eiji HATO Date: Thu,1 Apr 1999 21:32:28

羽藤@愛媛大です。

愛媛大学の敷地のサクラは5分咲きです。 今週の土日が見頃なんでしょうが、 既にお酒がなかり入ってしまって、ほろ酔 いメールになってしまいそうです。 失言はご勘弁のほどをお願いします。

名古屋や、東京は花見の頃合い いかがですか?

さて....

>一般利用者に最も分かりやすく使いやすい「混雑情報」の提供様式は,「渋滞通過時 >間」なり「経路所要時間」ではないでしょうか?

赤羽さんのいう「渋滞通過時間」と、「経路所要時間」という2つの 情報は実は行動論的??にはまったく異なる価値があると考えます。 前者には感覚的価値が、後者には理性的な価値があるのでは?

認知心理学の分野で、 ブロッホの法則というやつがあります。
K=I×T
K=刺激の知覚量
I=刺激強度
T=その継続時間

この式は渋滞の知覚量が、速度の低下量と その継続時間に依存すると読み替えることが 可能です。

この法則に基づくなら、 ドライバーが知りたい情報は、「感覚的」には、 速度の低下量とその継続時間と考えられま す。こうした観点にたてば、提供されるべき 情報は、渋滞の速度とその通過時刻という ことになるかと思います。

赤羽さんの指摘するところの 「渋滞通過時間」はこれにあたると考えます。

しかし、一方で、 ドライバーの感覚に合致するのが、速度の 低下量とその継続時間とすれば、「理性的」 な経路選択判断のための情報は赤羽さんの 指摘した第二の情報「経路所要時間」と考え ます。

この情報をドライバーが入手することで2つの 利点があります。

1.経路選択意思決定の不確実性を減少させる。
2.旅行時間が短くなって得する(獲得利得を 増大させる)。

1は、精度の高い所要時間情報が提供されることで、 2は、早いと思っていた経路が思ってたよりも遅い場合に 実現すると考えられます。

1、2を満たすような状況で、交通情報はより大きな価値を 生みますし、そうでない状況では、それほどの価値を生ま ないかもしれません。これが情報の「理性的」な価値の側 面では??

そうこう考えると、
1.現状の交通情報の精度はどれくらいなのか?
2.予想とは異なる交通状況がどの程度現実に起こっているか?
といった点が、
情報の価値があるのかないのか?
交通情報サービスがビジネスとして成り立つのか否か?
といった観点から、気になるところではあります。

実経験も踏まえて、地方の例、都市部の例、 (最も地方に住んでいるのは私と朝倉さんくらいですが) あるいは、交通情報の予測技術の現状についてお聞かせ頂けると 嬉しいです。

春はいいですね。
意味不明でごめんなさい。

ではでは。

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